大阪地方裁判所 昭和26年(ワ)3511号 判決
原告 柳太祚
被告 文元景巨
一、主 文
被告は原告に対し金二十二万九十円及びこれに対する昭和二十六年八月二十六日以降完済に至る迄年六分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。
この判決は原告において被告に対し執行前金七万三千円の担保を供託するときは仮りに執行することができる。
二、事 実
原告訴訟代理人は主文第一、二項と同旨の判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、被告は昭和二十六年七月二十二日三高化学工業株式会社代表取締役文元景巨名義で原告に対し金額二十二万九十円、満期同年八月二十五日、支払地大阪市、支払場所株式会社千代田銀行鶴橋支店、振出地大阪市なる約束手形一通を振出し交付し原告は右手形の所持人となつたので、満期に支払場所においてこれを呈示して右手形の支払を求めたがその支払を拒絶された。そして被告は前述のように三高化学工業株式会社代表取締役の名義で右手形を振出しているが、右会社は原告が大阪法務局において精密に調査した結果、その設立登記がなく会社として全然存在しないことが判明したので被告の「三高化学工業株式会社代表取締役」なる振出名義は単に被告の肩書に過ぎず右手形の振出人は被告個人というべきである。よつて原告は被告に対し右約束手形金二十二万九十円及びこれに対する右手形呈示の日の翌日である昭和二十六年八月二十六日以降完済に至る迄、手形法所定の年六分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴に及ぶと陳述した。
被告は「原告の請求はこれを棄却する。」との判決を求め、答弁として、被告が原告主張の日原告に対しその主張のような約束手形を振出し交付したこと、原告がその主張の日支払場所において右手形を支払のために呈示し被告がその支払を拒絶したことは争わない。しかし被告が右手形を振出すに至つたのは被告の友人訴外宮本任允が先きに原告と共同でアルミニユーム製造業を経営していたが、これを解散した結果原告に対し約金三十七万円の清算金支払義務を負担するに至つたので原告、被告、右訴外人等の話合いの上被告は右訴外人の依頼に応じ右訴外人の原告に対する前記清算金支払義務の一部弁済に充てる目的で原告に対し本件約束手形を振出し交付したのであつて、その際右訴外人は被告に対し同年八月二十日迄に右手形金に相当するインゴツト(アルミニユームの素材)を引渡すことを約束したにもかかわらず未だにその引渡を履行せず、しかも原告は以上のような本件約束手形振出の事情を熟知しているのであるから右訴外人が被告に対しインゴツトの引渡をする迄は被告は原告に対し右手形の支払に応じ難い。もつとも原告、被告、右訴外人等の話合の際被告が右訴外人からインゴツトの引渡を受けなければ右手形の支払をしなくてもよいという程の約束が成立したものではないと陳述した。
三、理 由
被告が原告主張の日に原告に対し原告主張の約束手形(振出名義人三高化学工業株式会社代表取締役文元景巨)を振出し交付したことは当事者間に争いないところであり、三高化学工業株式会社が存在しないことは被告の明かに争わないところである。従つて以上の認定事実によれば被告は全然実在しない虚無の三高化学工業株式会社の代表取締役の資格で本件約束手形を振出したことになる。原告はこの点について被告は三高化学工業株式会社代表取締役名義で本件約束手形を振出しているが、右会社が実在しない以上「三高化学工業株式会社代表取締役」なる振出名義は単に被告の肩書に過ぎず、右手形の振出人は被告個人であると主張するけれども、株式会社代表取締役名義で振出した手形が直ちに代表取締役個人名義で振出した手形となり得ないことは当然であつて、前者が後者となり得るためには特に手形面の記載上そう解釈し得べき何等かの記載があるか、又は当該手形の授受者間においてその事実を知悉している場合において当該手形授受の直接当事者間の関係において、又は当該手形の授者とその事実を知悉してこれを取得した当事者との関係においてのみそういう主張が許されるものと解釈すべきであるが、本件において被告が前記会社の代表取締役の資格で振出行為をしたことは前段認定の通りであり、これを代表取締役個人名義で振出したものと認むべき何等特別の記載もなく、又原告が本件約束手形を受取つた当時前記会社が実在しないことを知らなかつたことは原告の弁論の全趣旨によりこれを認めることができるから、右手形はあくまでも前記会社振出名義の手形と認むべきであり、前記会社が実在しないという手形面に顕われない事実を基礎として「三高化学工業株式会社代表取締役」なる代表資格の記載を単に被告の肩書と解釈して、被告個人の振出名義とみることは手形外観解釈の原則上許されないところである。すなわち本件約束手形は、たとえ実在しなくても手形の外観上存在する前記会社の振出した手形と認むべきである。
次に前記会社が実在しないことは前段認定の通りであるからこのような実在しない前記会社が手形上の責任を負うことのできないことは当然であるが、このような場合に実在しない前記会社の代表取締役として現実に振出行為をした被告の手形上の責任如何を考えてみよう。この場合に先ず被偽造者が存在しないのであるから被告に手形偽造者としての責任を生ずる余地がないことは明白であり、又被代理者(本人)が存在しないのであるから被告に無権代理人としての責任を生じ得ないことも当然であるが、しかしさればといつて被告に全然手形上の責任を生じないのであるか、この点を検討してみるに、手形法第七十七条第二項第八条前段によれば代理権を有しない者が代理人として約束手形に署名したときは自からその手形に因り義務を負う旨を規定し、手形行為の無権代理人が代理権を証明することができない場合には自から手形上の義務を負担すべきものとして、流通証券としての手形の信用を確保するため、無権代理人(自称代理人)個人の手形上の責任を認める趣旨を明示しているのであるが、この法理は法人の代表機関として手形行為をした者が全然その代表資格及び権限を証明することができない場合に前記手形法第八条の解釈としてその適用があるのは勿論であるが、更に法人の代表機関として手形行為をした者がその法人の存在を証明することができない場合にも、流通証券としての手形の信用を確保する前記法条の精神に鑑み、何等その取扱を別異にする根拠がないから、前記法条はこの場合にもその準用あるものと解するのが正当である。そうすると被告は前記手形法第八条の準用により本件約束手形の振出人としての責任を負担するものと解しなければならぬ。
被告は、被告の友人訴外宮本任允が先きに原告と共同でアルミニユーム製造業を経営していたが、これを解散した結果原告に対し約金三十七万円の清算金支払義務を負担するに至つたので原告、被告、右訴外人等の話合いの上被告は右訴外人の依頼に応じ右訴外人の原告に対する前記清算金支払義務の一部弁済に充てる目的で原告に対し本件約束手形を振出し交付し、その際右訴外人は被告に対し同年八月二十日迄に右手形金に相当するインゴツトを引渡すことを約束したにもかかわらず未だにその引渡を履行せず、しかも原告は以上のような本件約束手形振出の事情を熟知しているのであるから右訴外人が被告に対しインゴツトの引渡をする迄は被告は原告に対し右手形の支払に応じ難いと主張するけれども、被告がその主張のような事情の下に右手形を振出したのは訴外宮本任允の原告に対する前記清算金支払債務について被告において右訴外人のため添加的債務引受をしたものと解すべきであり、右訴外人が被告に対し被告主張のようにインゴツトの引渡を約束したのは右債務引受についての右訴外人と被告との間の内部的補償関係に過ぎないから、右訴外人が被告に対し被告主張のようにインゴツトの引渡を履行したか否かは全く右債務引受に対する補償がなされたか否かの問題に過ぎず、このような内部関係を原告が諒知していたからといつて原告の本件手形上の権利の行使に何等の妨げとなるものではなく、いわんや原被告間に右訴外人が被告に対しインゴツトの引渡をする迄は被告は本件手形の支払をしなくてもよい旨の約定が成立したものでないことは被告自から主張するところであるから、原告が前記のような事情を諒知していたからといつて手形上の悪意の抗弁の成立する余地はない。
そして原告が満期に支払場所において本件手形を呈示してその支払を求めその支払を拒絶されたことは当事者間に争いのないところであるから、被告は原告に対し本件約束手形金二十二万九十円及びこれに対する支払呈示の日の翌日である昭和二十六年八月二十六日以降完済に至る迄手形法所定の年六分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があること明白である。よつてこれが支払を求める原告の本訴請求を理由ありとして認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条、仮執行の宣言について同法第百九十六条を各適用して主文の通り判決する。
(裁判官 相賀照之)